どっち?

 知らぬが仏か無知は罪か。
知れば知るほど損をすることはあるでしょう。
世の中のすべての自分に対する非難の言葉なんて聞きたくないでしょう。
ただ全く何も言ってもらえず、自分勝手をやりつくすのも損か?


差別語とされている言葉を知る、もしくは差別ってことを
知ることによって、今まで差別として考えていなかったことを
差をつけて、別のものとして考えるようになる。差別?
差があることを気にしなかったらいい…んん〜ちょっと違うな
個性、差があることが当たり前やと思うかな。
ただもう差別ってものがある世の中でなにが差別になるかを
知っておかないととも思う。
悪意のない差別。=無知は罪を指している。
でも本人は悪意がないから何も感じない。=知らぬが仏だな
後者は悪者のように感じるけど、実際悪意がないんだから
、勝手に差別と取っているだけやともね。


 色々言葉で分類するから、差別したくなるよな。
その分類名だけでその人を見るようになる。
黒人、白人。
健常者、障害者。
人間そんなに単純じゃないのに。
どこからが健常者かなんて決めれないのに。


 でもあるくくりにしていたら確かに便利だ。
例えば○○障害者がどのような人を指し、
どのような障りがあるのか知っていれば
その障りを取り除く手助けがしやすい。
実際そうゆう風に知っていくものだと思うし
なんかしらの支援活動もしやすいよな。
ただその障りが社会的に目立つほど、
その人=○○障害者になりその障りの本当は
その人の一部分だけなのにその人の存在が
かわいそうって考え方になる。
そしてその人=○○障害者=すべての○○障害者はこんな人
となる。
危険、危険。
分かっていても、障害者障害者障害者って言葉が溢れている
場にいると洗脳されそうになる。


 結構難しい。
障害についてどうゆうもので、どうゆう助けが欲しいかは
知っておいてほしいが、差別はしてほしくない。
わがまま、そうではない?


世の中色んな事情を抱えた人が相当いるはずなのに
一般社会であまり姿を見ない。
やっぱりそうゆう人たちで固まっているからかな。
固まるのはいいことか、悪いことか
どっち?