兄は軽度の知的の障害をもっています。兄の記憶をたどった最初は小学校の
仲良しクラスという特殊学級にいたってこと。けどその時は私は低学年だったし
ほとんど何も考えなかったな。
普通に兄だったし、特に何かを気にすることはなかった。


高学年になってくると、なんで違うクラスにいるんだろう?とか
同じクラスにいる兄と同じなかよし学級の子がいじめられていたりすると
複雑な気分になったりした。
でも小学校にいる頃にはそんなに気になることではなかった。


 兄とは学年で二つ違いだから中学校では一年だけ一緒になった。
この頃になるとあまり兄が仲良しクラスにいると知られたくなかった。
なんか恥ずかしいとか、やっぱり同じクラスにいる仲良しクラスの子が
差別されたりイジメられているのを見ると言えなくなるもんだった。
そんなイジメられている子を見ても何も出来ない自分が情けなかったりした。
自分もいじめらるかも、とか兄について触れられたらどうしようと?
いう不安は常にあった。


 兄はなんでああなんだろう?兄もいじめられているんだろうか?
とか色々複雑に考えるようになったのもこのころ。
さらに明らかに自分の方が精神年齢が上回ってしまっていて
立場的には完全に自分が兄のようになってしまったのにも悩んだ。
兄から
「兄ちゃん」
って呼ばれるようななったのは本当に複雑だった。
 同じことを繰り返す兄に対してむかついたり、やりきれなさを感じて
またはイライラをぶつけてしまうこともあった。
それはやっぱり親も同じで強く当たってしまっているのはよくあった。
 そのせいかその頃から今も兄はどこかびくびくしていて
常に顔色をうかがっている。
 あの頃の接し方が違ったらどうだったんだろうかと思う。


 兄について考える事はよくあって、将来の事、親が死んだら?
原因はなんなのか?お兄ちゃんどこの高校に行ってるんって聞かれたら?
自分はこれからどう関わっていくのか?
誰かに相談したくても誰もいなかった。親には話せることと話せないことがあるし、
当然兄とは…
 この頃よく他の家の兄弟の事を考えた。兄ではなく健常の兄がいたら
どんなんだろうと?正直兄ではない人が兄だったら良かったのにと思う
自分がいた。


 そんなことを考える自分が嫌になったして自分の殻に閉じこもって…
当時自分は病んでなんかいないと思っていたけど今思えば…


 自分が中学校の頃といえばもう1人の兄弟の妹についても壁があった。
赤ちゃんの頃から立ったりするのが遅かったらしいけど、小学校に行って
からは顕著で運動面でも勉強面でもコミュニケーションの面でも全然ついていけなく
なっていたみたいで、母はいつも付きっきりで勉強を教えていたけど
上手くいかず、いつもヒステリックに怒鳴り散らしていた。
妹が低学年の頃から親にも私にも全く本音を言わなくなった。
大事な事はすんとも言わないし嘘も平気で言っていた。
 本当に妹は何を考えているのか全くわからなかった。


「あの子のことをかわいいと思えない。そんな自分が…あの子が…」
悲しい


 高学年になってくるといじめが始まり、本当に辛そうだった。
学校の写真とか見ると顔が死んでいて可愛そうだった。
笑っている顔なんて絶対無い。泣きそうって言うより表情がないんやわ。


 登校拒否になり学校に行っても保健室生活になっていたみたい。
一回私の学校が休みの時に妹と小学校に行く時があって、
歩いていくんやけど途中で足が止まるねん。で泣き出すねん。
で家に帰ろうか?無理しなくいいんやで?
って言っても行くって言うねん。
全然足動かなくて、めっちゃ泣いているのに行くっていうねん。
どうしたらいいん?って泣きそうやった。
 学校前に何とか着いて保健室までついて行こうか?って聞いても
自分で行くって言いよるんよね。


 その後いじめられながらも、学校に行きつづけた妹は本当に凄いと思う。
で6年生になって進学を考える時が来た。
 そのまま地元の中学校に通うか、兄の関連の養護学校に通うか?
これは妹の今後の人生を決める大決断だった。
一度養護学校に行ったらもう普通の道には戻って来れないだろう。
本当に知的に障害があるわけでもなさそうだから、自分がそうゆう学校に
いれられたときに妹はどう思うんだろう?と言う危惧もあった。
でも地元の学校に行けば勉強はもう付いて行けてなく家で小学校1.2年生のドリルとか
やっていたし、イジメも中学校に行ったら絶対もっときつくなる事は目に見えていた。

 
 結局、大事なのは妹がどうしたいかだったけど最後まで妹は
地元の学校に行くって言っていたらしい。ここでも本心は闇の中。
 親は散々悩んで最後には養護学校に行くことに決めた。
そらどっちを選んだのがよかったかなんて分からないものだけど
今の現在ではその選択をしてよかったと私は思っているし親も思っている。


 そんな兄弟を抱えて親、特に母親は精神的にきつかったんだろうと思う。
理不尽にきつくあたられることが多くて、言い返したいときもあったけど…
怒った後に母から
「ごめんな、あんたばかりにきつくあったて。他の二人がああで怒っても
もひとつ分かってもられえてなくて、あんたばかりにいってしまうんや
悪いと思っている。」
って泣きながら言われたら、自分が耐えたらいいんかなってな


 親からの期待というか私にはいい人生を歩んで欲しいという思いがひしひしと
伝わってきていた。自分自身では、自分の事より兄弟の事を先に考える。
それが自分の生きる道かなって思っていた。


 福祉とか障害とか援助法とか色々学びたかったんやけど、そこに踏み入るの
が怖かったんやと思う。それに兄とか妹を兄弟として見たかった。
そんな障害者について勉強したら兄弟を障害者やと決めてしまう事になりそうやったから。
兄は兄やし、妹は妹やねん、障害者じゃないねん。社会的にうまく打ち解けれない
とこがあるだけやねん。


 高校から大学に進学する時に私は大学なんて
行く気全くなかったけど父が大学で色んな考えの人と出会えて
色んな考えた出来るようになるから大学には一度行ってくれと言われ、
大学に行くことに。
この時福祉大学を考えたけどすぐに却下、無難な経済学部に入る。


 でも当然経済なんておもしろくなかった。入って数ヶ月でもういいって思っていた。
学校には部活をしに行ってるって感じで、その部があまりにも忙しくて考える暇がなく
一年近くが経った。2月くらいに妹が通っている養護学校の授業参観に行った。
 その時妹が笑っていた。学校で笑っていた。
その事実が大きかった。
 その日から考えて、福祉を学びたいと思った、というより自分の殻を壊したいと
思った。逃げてばっかやったし、これから否が応でも関わっていくもの。
知識があったほうが有利やし、兄弟のためになることも学べるかもしれない。
自分でああだこうだ考えるより自分からそういった世界を見に行きたいと思った。


 大学を一年で辞めた。福祉大学に入りなおした。
もっと色んな道を考えれたやろうけど追い詰めたれていたのもあって…
そこは後悔が残るけど…
 でも大学に入ってよかった、自分の兄弟の事話せる人が出来た。
分かってくれる人、同じような環境の親や兄弟に会って
自分の中でだけで考えていたことを言えて楽になった。


 自分が特別じゃないと思えたし、私やからこそ出来ることもあるんやと
思った。必要とされた、でも今の吹っ切れた自分の気持ちとしては
自分のやりたい事をやりたいと思った。そしてやっぱ大事なのは家族やと
思った。


 でも、大学は行ったら行ったで当然考えることも複雑になった。
兄はきちんと就職するべきなのか?自立する事が生きるために絶対必要な
ことなんだろうか?今兄は幸せに暮らしているけれど苦しい訓練を
しないといけないの?生きる意味ってなんだろう?


 妹はこれからどうなるのか?まだまだ特定の人以外にはほとんどのコミュニケーション
、大事な事、本音はいまだ語誰にも言ってくれない。妹と家族の溝。


 未だ差別されるんじゃないと言う自分の中の恐怖心。今まで見てきたし
いまも確実にある差別の目。気になってしょうがない。
兄や妹の紹介に困る。そんな自分がいや。


 母から言われて衝撃を受けた言葉
「結婚とかになった時
あんたのこともなんか障害を持った人と見る人はいる。」
 まあ当時は衝撃受けたけど、人なんてなんにも問題を持たずに
完全に健常な人なんているんだろうか?ってことやけどね。


 日々色んな事考えています。前向きに生きたいです。
母、父、兄、妹みんな幸せになって欲しいです。
俺も幸せになります。
 

 
 そう言えば、子猫SUNが我が家にやってきたけど
非常に大きな影響を与えている。
兄と妹にとって数少ない守るべき者が出来たって感じ。
あんなに動物嫌いだった兄がSUNにだと触れる。
最初は全然だったけど気になって仕方ないって感じで、
今ではもう♪
妹なんてもうホント優しく接している、聖母やね、
俺が触ろうとしたら、かわいそうなことやるからダメと
あまり触らしてくれない。
 家族全体がSUNによって癒されている。家族一緒にいる時間が
増えた気がするし話すことも増えた。
会話の中心はだいたいSUNだしね。


 ただ俺になつかない…